沖縄を代表するスポット 国際通り

沖縄 国際通り

奇跡の1マイル 国際通り

国際通りは那覇の県庁北口交差点前から安里三叉路にかけての約1.6kmの通りの名称、沖縄と言えば、と、国際通りの名を知る方は多いと思います。

ご存知の通り、戦後は焼け野原になった那覇市ですが、その中でも、いち早く目覚ましい発展を遂げた那覇最大の繁華街でもあり、奇跡の1マイルなどとも呼ばれています。本当にその距離が1マイル(約1.6km)である事が、沖縄がアメリカの統治下だった事を思わせるエピソードだと改めて思いました。

昼は修学旅行生や観光客、夜は大人の社交場、昼夜関係なくそれぞれの顔の国際通りには人が集まり「人が集まるから嫌い」「観光客専門」などという感想は、沖縄リピーターの中でも多いとはいえ、沖縄が詰まっている沖縄らしい場所の一つであることは間違い無いでしょう。

沖縄 牧志市場

土産物から沖縄グルメ、ホテルに芸能、全てがあるのが国際通り、また、国際通りから少し外れれば、これもまた名高い 牧志市場 や やちむん通りを始めたっぷりと沖縄が詰まっているエリアが広がっているのです。

沖縄と奄美大島

ちょっとだけ誇らしい話をすると、国際通りの基礎は、私と縁のある奄美大島出身者達が作ったと言われています。

それも事情を紐解くと何とも言えない感情があるのですが、沖縄の人の奄美大島に対する差別は、今の世の中から見れば、想像を絶する酷い話なのです。

先の戦争では、終戦後、沖縄と奄美は米軍の統治下に置かれた訳ですが、その頃、生活に窮した奄美大島の沢山の人が、沖縄に仕事を求めて渡沖しました。

しばらくして、利用価値の無くなった奄美大島は、いち早く本土へ返還された訳ですが、残された沖縄に住む奄美の人たちは、外国人登録証を持たされ、あらゆる権利を剥奪されたのです。

ある日突然職を失い、それ以降は公職に就くことは出来ず、参政権も取り上げられ、土地家屋も没収されたりしたそうです。

奄美大島出身者は「おおしま」と呼ばれて、仕事に就くことも出来ず、男性はヤクザになったり、女性は身体を売るみたいな仕事をして生きるものも多く、いわゆる水商売、飲食店などが集まる国際通りの基礎は奄美出身者だという話もうなずけますね。

観光で沖縄に行っただけでは見えない史実です。そんな差別があるわけ無い、と思うかもしれませんが、これは本当の話で、私の縁者にも沖縄へ渡った者がリアルに存在するのです。

「○○の一番下の妹の○○は、沖縄に渡って身体を売る仕事をして、とうとう行方がわからなくなった。」

「糸満の漁師の家に売られた子がいる。」

今、同じ大阪に暮らす、私とは一つ違いの二従兄弟にあたる沖縄の縁者が居ますが、彼などは沖縄の女性と結婚したいと挨拶に行った際に、

「○○君は良い人だけど、おおしまだから」

という理由で結婚は許されず、大反対された挙げ句、結局、駆け落ちして、二十数年沖縄へは足を踏み入れてません。

「おおしま」だけに限らず「宮古」などの離島も同じ扱いで、犯罪が起これば「島の人間だから」と指をさされると言う理不尽さ。

奄美に暮らしていた頃は良く理解出来なかったのですが、年寄り連中が亡くなるつい最近まで、沖縄へ行ってくると言えば「奄美出身者だと明かしてはならない」と真顔で言われてましたから。

誤解の無いように書いておきますが、それでも私は沖縄を始めとする南の島が大好きです。こうして歩き回るほどに、私の先祖の痕跡を、各地で知ることとなり、考えさせられることが多い、、、のでした。

国際通りのおすすめは

那覇 国際通り

国際通りのおすすめは?

難しい話です。前途の通り、国際通りには沖縄の色々が全てありますので、自分が沖縄に何を求めているのか?をはっきりとさせる必要があるのでは無いかと思うのです。

例えば、私の話をすると、私にとっての国際通りは買い物するに良い所、という感覚です。それほど買い物には興味が無い私ですが、空港の土産物屋では物足りず、沖縄な買い物が一通り出来るので便利な場所なのです。

沖縄のグルメは?といえば、もちろん国際通りに沖縄グルメは何でもあるものの、これだけ何十年も沖縄へ通っていると、沖縄中のあちこちに、とっておきのお気に入りのお店などが出来てしまって、◯◯が食べたい、とかになると、わざわざそちらへ足を運ぶ、みたいな事になってしまいます。

友人知人を南の島デビューさせる事も私の沖縄行きの楽しみの一つなので、沖縄デビューは国際通り、みたいな案内をする事も多く、沖縄のお気に入りを探す場所なのかもと思います。

国際通りのステーキ店

国際通り ステーキハウス88

沖縄と言えばステーキ。長い間米軍の統治下に置かれていたからでしょう、ステーキはメジャーな沖縄飯の一つなのは間違いありません。

ジャーッキーステーキハウスやステーキハウス88などのリーズナブルなステーキハウスはあまりにも有名。拘りの肉を提供するちょっとお値段高めなステーキ店なども沢山あります。

沖縄の人にとってステーキは、もの凄く当たり前な食事な様子で、私ら観光客が喜んで出掛けるのは当然として、自分の親ぐらいのじーさんが、一人でステーキを食べている姿を見ると、ステーキは沖縄飯なんだとつくづくそう思います。

そんなメジャーなステーキですから、国際通りには何軒ものステーキ店があるので、お店は選び放題です。

個人的には、ステーキハウス88でしょうか。歴史のあるリーズナブルな大衆店、お金を出せば、もっと上質の肉を使ったステーキを食べさせる店は幾らでもありますが、沖縄ビギナーであれば、まずは88で沖縄ステーキの雰囲気を楽しむのは良いかと思います。

高校一年生の夏、始めて沖縄へ来た時に食べたのが88のステーキでした。ステーキなど食べた事も無かったどころか、当時の奄美では牛肉さえも珍しい肉だったので、強烈な印象として三十数年たった今でも、強烈に覚えており、滞在中は毎日88でステーキを食べた事を懐かしく思い出します。

国際通りの居酒屋

国際通り 居酒屋

もちろん居酒屋なども沢山あります。沖縄らしいメニュー、ゴーヤーチャンプルーをはじめとするチャンプルメニューは国際通りの居酒屋の定番です。

正直、今では沖縄メニューって食材は当たり前に入手出来るし、いわゆる我々が住む内地で食べる事が出来る店も普通にあったりするので、珍しい事も無くなってしまいました。

民謡酒場

という事で、私がおすすめするのは「民謡居酒屋」です。

国際通り 民謡酒場

「イヤイヤ、今は内地でも沖縄ミュージシャンの音楽聞けるし」、という声もあるし、 確かに、私なども内地での南の島の音楽を楽しむ為に足繁く通っているクチなのですが、断言します。

現地での音に勝るものはやはりありません。

国際通りには、内地でも名の通った沖縄ミュージシャンが演奏する民謡居酒屋、ライブハウスが何軒もあるのです

中でも私のお気に入りな店がありまして、以前は少し離れた泊港の近くにあった「上原正吉の店 島唄ライブ ナークニー」です。上原正吉先生は沖縄では知らない人は居ないと言うぐらいの沖縄民謡の大御所です。

以前の店は、地元の人も多い店でしたが、より沢山の方々に沖縄民謡を、みたいな狙いがあったんじゃないでしょうか。

ここのオバアの奏でる、三板(サンバ)という楽器が大層素晴らしく、国際通りに足を運ぶ理由の一つのお店です。

駐車場と地図

沖縄 ゆいれーる

駐車場は各所にコインパーキングが散在していますが、観光客の我々が利用する事はあまり無いかもしれません。

ゆいレールや路線バス、タクシーでのアクセスが便利かと。

ゆいレールは沖縄唯一の電車で、那覇空港と首里駅を結ぶモノレール。ゆいレールと言うのは相性で、沖縄都市モノレール線と言うのが正式名称で、2019年には更にてだこ浦西駅が開通するそうです。

那覇市内の慢性的な渋滞を避けるになかなか便利で私自身も度々利用します。

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