南の島の旅ブログの管理人 吉川ごうのプロフィール

諸鈍長浜 でいご並木
(加計呂麻 諸鈍のデイゴ並木)

母親が奄美大島 南部の離島、加計呂麻島出身で、中高生の頃に一人奄美大島の親戚の元で暮らした事があります。以後、奄美大島は故郷になり、幾度となく島へは足を運び、現在に至ります。

奄美だけではなく、沖縄やその離島などにも足繁く通うこと二十数年、その多くが仕事だったりする事に縁を感じ、これほど通いつめた南の島の記録を独断と偏見でお届けしたいと思いブログ開設しました。

犬猫金魚に嫁子供と暮らす大阪府在住。

大島海峡
(大島海峡 東シナ海を眺める夕日の丘)

南の島巡りをこれほどまでに続ける理由には、南の島の原風景が好きだ、という事以外にも、三線音楽を知りたいという強い思いが一つあります。

私の祖父は、奄美の島ではよく知られた唄者で、その血を引いてか、私自身も子供の頃から運動よりも楽器が得意でした。じーさんの血だと回りからは良く言われ、悪い気はしなかったし、じーさん自身も喜んでいたそうです。

特に若い頃は、ロックだフォークだと祖父の演奏する島唄とは程遠い音楽を好んでいたものの、ふとしたきっかけで、手にした三線音楽の虜となり、最近では更に、三線音楽を知りたくて堪らなく、南の島通いがライフワークとなりました。

祖父には沢山の事を教わっておくべきだったと思うものの、時既に遅し。祖父は三十年程も前に亡くなっています。

奄美 チヂン太鼓
(こちらは、亡くなった祖母が使っていた奄美大島独特のチヂン太鼓)

三線にシマ唄にと触れ合う旅を続けていると、祖父の足跡と出会う事も多々あり、縁の強さを感じるのです。例えば、遠く離れた島で「なんと、◯◯じーさんの孫か!」みたいな事が実際にあり、感動したのは言うまでもなく、大阪の郷土の島唄の集まりなどに出かければ、まだまだじーさんの元気だった頃の話を事細かに聞くことが出来ます。

私が大阪で通うようになった三線教室では、吉川家の縁者が四人もおりました。

三線が繋ぐ縁、素晴らしい事じゃないかと思っています。

奄美 豚味噌
(南の島の定番 豚味噌)

そして、グルメ。

左党、上戸は自他共に認める事なので、美味しい料理には目がなく、食べ歩きもライフワーク、そしてそれを再現する料理好きでもあります。

三線音楽の資料室や楽器の数々、料理を振る舞い友人たちと過ごす「隠れ家」と称した古民家を借りて、そこで過ごすのが休日の主な楽しみ方。

まだまだ行った事のない離島は両手両足では足りません。ペースを上げて出かけなくては寿命が足りないと改めて思った今日、しばらくは南の島の予定が無いなと思いつつ、プロフィールなど書いてみた夏の一日です。

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